自己卑下が何の役に立つ
自己卑下が何の役に立つ
私はそのように今考えたり感じたりしなければならないのではない。
そのような自分の陳腐さを永久に受け入れる必要はないのだ。
そのような自己卑下が何の役に立つだろうか。〈ユング〉
自分自身を卑下するマイナスエネルギー、というと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私たちの奥底に潜むネガティブ意識は、それがネガティブとは気付かないほど根深いものがあります。
特に日本人の美徳に繋がる謙虚さは、それと紙一重でもあります。
遠慮、中庸、奥ゆかしさ、目立たないように、波風立てないように、等といった思考パターンは、社会的適合者としてより生き易く立ち回れるようにと、無防備な幼少期に親や社会から植え付けられてきたものがほとんどです。
このような思考は美徳であり、エゴ(自我)とは相反するものであると認識しているとしたら、自責の念(卑下する気持ち)をより強く創り出してしまいます。
というのも、判断基準が他者の価値観なので、自分自身のコントローラーをわざわざ他者に渡すことにもなりかねず、また結果的に他者と自分との隔たりがより強くなり、自我が確立してしまうからです。
この自我が強ければ強いほど、真我との一体感は得られません。
ですので、このような日本人としての美徳は、相当慎重に扱わないと、結局は自分自身の可能性や能力を抑え込んでしまうことになりかねません。
しかし自分自身を卑下するマイナスエネルギーが強い人は、幼少期の経験だけでなく、カルマからの影響も大きいかもしれません。なぜなら私たちは、親の気質や環境を考慮した上で、今世地球上で様々な経験をするに相応しい環境に生まれて きたからです。
自制する気持ちは、様々な判断が難しい時期(年齢)においては必要なスキルであったと思います。しかしある程度スピリチュアルな学びを経て自己判断ができるような段階では、現実化する創造力も大きいが故に、マイナスに作用する場合も多く見受けられます。
ネガティブな要素が強い人は何かと卑下する言動に繋がります。実際には自分の評価を低く見積もっていない場合でも、相手とうまく付き合う手段として卑下する言葉を用意する心理があります。
また自分の価値を他者の言葉で確認したい人は、何かと相手を試すようなことを言います。その行動の表れとして卑下する言葉を使い、自分の良いところを聞き出そうとします。
そして無意識に女性がしているケースで少なくないのが「かまってちゃん」
卑下することで自立しない理由にしていたり、友達や恋人に甘えていたいという気持ちが潜んでいることがあります。自分を自己卑下したら、そう感じたことはひとつの「事実」です。しかしそれは本来の自分の「真実」とは違います。ユングがいうように、自己卑下する自分の陳腐さを「受け入れる必要はない」のです。
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