被害者意識
被害者意識
感情がネガティブに傾いたとき、他者を非難するのは簡単です。
しかしなぜ自分がネガティブに反応するのか、常にそこから物事を見ることを習慣にしている人は、他者からの無責任な非難に怯むことはありません。
自分を客観的に見ることと、他者にどう思われるかを判断材料としているのは全く異なります。
本質を突いた発言に対し、しばしば「キツイ」とか「そんなこと言ったら嫌われますよ」と助言する人がいますが、スピリチュアルな成長を望んでいるのならそのような心配は無用です。
三次元を波風立てず、表面上だけであっても穏やかに過ごしたい。人生良い時もあれば悪い時もあるよねと納得し、時に楽しい思いをした後で虚しさを覚えても、そのような人にとっては、成長を望むと言いながらまだそちらのほうが大切ということですし、もちろんTPOは必要です。
ただ、いつかは誰もが自己に向き合わざるをえない時が来ます。
長い間自分を抑え、感情にフタをし、見て見ぬフリをしてきた人は、他者目線での素敵な自分を演出することに慣れてしまい、いつしか本来の自分を見失ってしまいます。
しかしそういう人は内側にマグマのような怒りを隠し持っています。
ですから仮面で生きれば生きるほど、向き合ったときの辛さは増すでしょう。なぜならそれまで気付かれないように、静かに他者に向けていた怒りは、溜まりに溜まって自分を攻撃し始めるからです。しかし多くの人はそこで慰めてくれる人を自ら招いてまた引き返してしまいます。つまり被害者を演じます。
被害者でいたら同情してもらえるし、寄り添ってもらえるし、自分は弱いままで人をコントロールできるし、エネルギーを出さなくてもいいし、お世話してもらえる。そういう人たちにとって、被害者意識は蜜の味なのです。
しかしこの被害者意識が集団となった時、常日頃から自己と向き合って考えるということをしていない人たちによって、見ず知らずの個人をも攻撃するだけでなく、戦争へと発展するエネルギーを生み出すことになるのです。
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